顧客の要求に安易に無償対応しないことの大切さは、このことを既に強く認識している人も多くいると思いますが、まだまだ安易に無償対応に応じてしまう人は多いと思います。
顧客からの要求に安易に無償対応してはいけないということは、仕事をしてその対価をもらうというビジネスの基本中の基本でもあるから、新卒には特に徹底的に叩き込まないといけないのではないだろうか。そうしないと安易な無償対応で顧客満足度が向上したとか満足してしまう愚か者が量産されて(文字数
— 米村歩@日本一残業の少ないIT企業社長 (@yonemura2006) February 20, 2018
今の世の中って色んな場面で無償対応を求められることが結構当たり前になってしまっていますよね。これは良くないことです。多くの不幸な人を生み出してしまいます。そもそもタダでサービスを要求するような相手は顧客とは呼べないと思うんですよね。
以前にこちらのブログでタダでサービスを要求してくるような相手を何と呼ぶべきかを募集したところ、「乞食」+「顧客」で「乞客」という素晴らしい呼び方を私のフォロワーさんが考案してくれました。ぜひ皆様積極的にこの言葉を使っていただけたらと思います。
仕事の対価は「お金」という当たり前の事実
ビジネスの場では仕事の対価は「お金」です。これは当たり前の事実です。いや、仕事の対価は達成感だとか、自身の成長だとか、ブラック感満載のことを言うのはやめてください。もちろんそういうものも仕事で得られることではありますが、それも対価としてのお金をきちんともらってはじめて成立するものです。
私生活においては人に何かをしてもらった時の対価は「ありがとう」という言葉かもしれません。いや私生活の場においても場合によっては対価としてのお金が発生することはありますよね。
それがビジネスの場となれば対価としてお金が発生することは当然すぎることなのに、なぜかそのことが当然のごとく無視される場面が結構あるように思います。まあ対価としてのお金を無視しようとするのは一部の人達ではあるのですが、こういう人達が世の中をブラックに染めていくのです。
ビジネスの場では、対価としてのお金をもらうことでみんな飯を食っているわけです。対価としてのお金を払わないことは、相手の生活を脅かす可能性がると言っても過言ではありません。
仕事をしてその対価をもらうことはビジネスの基本中の基本ですので、こういうことは新卒の時にでも徹底的に叩き込んだ方が良いと思います。
「お客様は神様」「顧客満足」という罠
顧客が何かを要望してきた時に、予算の都合などでそれに対する対価を払えないという場合があります。その時に費用を払ってもらえないのであればお断りすると言ってしまうと、顧客との間に気まずい空気が流れることもあります。
またどうせ仕事をするなら自分の仕事によって顧客に喜んでもらいたいですよね。真面目に仕事をしている人であれば、顧客に喜んでもらいたいという気持ちは誰でも持っているのが普通です。
しかしこの「顧客に喜んでもらう」という意味を勘違いしてはいけません。これも当たり前すぎることなのですが、ビジネスの場においては仕事をして、その対価となるお金をもらって、その上で顧客に喜んでもらうのが正しいです。原則としてお金をもらわずに顧客に喜んでもらってもそれはビジネスではありません。
お客様は神様だとか、顧客満足の向上だとか、色々な美辞麗句を並べ立ててしまい、仕事をしてその対価としてのお金を払ってもらうというビジネスの基本を忘れ、「顧客に喜んでもらう」という大義名分だけ掲げてしまう人がいます。
対価としてのお金を受け取ることもせずに相手に満足してもらいたいのであれば、それはボランティアでやってこいという話です。少なくともビジネスを行うはずの会社の中で勝手にボランティア活動されることは迷惑でしかありません。
自分が顧客側になる時も無償対応を要求してはならない
仕事の対価としてお金が発生することを認識するが大切であることは、何も自分が顧客対応するときだけのことではありません。時には自分が顧客側の人間になることだってあるわけです。
自分の顧客に対してはペコペコして何でも言うこと聞くゴマすり人間になっているくせに、自分が顧客側の人間になると途端に態度が変わって無償対応を要求してしまうような人ってたまにみかけますよね。
こういうことを取引先にしてしまうと、面倒くさい相手だと取引先から思われて必然的に自社に対するガードも固くなりますから、長期的に見ると何も得することなんてありません。
顧客の要求に安易に無償対応しないこと、つまり自分達の仕事に対する対価をしっかり受け取ることはもちろん大切ですが、逆の立場で取引先に対して無償対応を安易に要求しないこともものすごく大切です。というか全く同じことです。
取引先に対して無償対応を要求するような人は自社にとっても社会にとっても迷惑ですから、そういうことのないようにしっかり従業員の教育をしなければなりませんね。
従業員に対しても無償対応を要求してはならない
顧客に対して安易に無償対応してはならない、取引先に対して安易に無償対応を要求してはならない、これらと同様に、従業員に対しても無償対応を要求してはいけません。従業員に対する無償対応とはもちろんサービス残業のことですね。
私の経験上、無償対応を要求してくるような顧客は、ほぼ間違いなく自社内でも同じようなことをやっているブラック企業です。
こういうのはもう体質なんですよね。他所の会社に無償対応を要求することが当たり前となってしまっているような会社は、そういうのがその会社の文化であり常識となっているわけですから、社内でも当然のごとく同じようなことをやっているわけですよ。
だから取引先に無償対応を求めるような会社は自社の従業員にも無償対応(サービス残業)を求めますし、取引先に残業(時間外での対応)を強要してこようとするような会社は自社の従業員にも当たり前のように残業を求めてくるわけです。
まあだいたいこういうことする会社はブラックですね。間違いないです。ブラックな体質というものは伝染するものなんですよ。
無償対応とは誰かの善意にタダ乗りすること
- 顧客の要求に無償対応すること
- 取引先に無償対応させること
- 従業員に無償対応させること
関係ないように見えて、実は全部つながっています。こういうのは企業体質ですよね。無償対応が当たり前となってしまっている会社は、どんな場面でも無償対応が当たり前という発想にどうしてもなってしまいます。
私生活の場で何かをしてもらった時の対価は「ありがとう」の言葉かもしれません。何かをしてあげたのにありがとうの一言もないような人はちょっと性格的に問題あると言わざるをえないですよね。
ビジネスの場で何かをしてもらった時の対価は「お金」です。仕事として何かをしてあげたのにお金を払ってくれないような相手は救いようのない乞客と言わざるを得ません。
ビジネスの場で無償対応を要求することは、私生活で言えば「ありがとう」を言わない人間と同じです。いや、もちろんビジネスの場でもありがとうの言葉は大切ですよ。人間ですからね。でもそれはきちんと仕事に対する対価を払ってもらってからの話です。
ビジネスの場で対価となるお金を払わずに「ありがとう」の言葉だけで済まそうとするのはやりがい搾取でしかありません。そんなありがとうの言葉なんかちっとも嬉しくなんかありません。
昔、「同情するなら金をくれ」というセリフで一世を風靡したドラマがありましたが、お金を払おうとしない乞客にはまさにこういう言葉を贈りたいですね。乞客は金払え。