残業代ゼロ法案などと批判されることも多い、いわゆる高プロというものについて、どうも色んな人達の話が噛み合っておらず、論点がずれているのではないかと感じることが多々あります。正直な話をするとうちの会社は元々残業がゼロなので、残業代がゼロになろうとはっきり言ってうちの会社には全く関係のない話です。全く関係のない話なので正直あまり興味もないのですが、私のような高プロに全く無関係である程度中立的な立場から意見を述べることも少しは意味のあることかもしれないと思い、高プロ(残業代ゼロ法案)について少しばかり考えてみました。全くの無関係の立場から、特に強い興味があるわけでもない状態で思うがままに意見を書きますので、もしかすると若干無責任な主張となってしまうかもしれないことをご了承ください。
「時間ではなく成果」の方向性は正しいと思う
そもそもなぜ高プロという仕組みが検討されているかと言うと、単に長く働いた人よりもより大きな成果を出した人に焦点を当てて、時間ではなく成果を評価しましょうという背景があります。それにより短時間で効率的に働いて生産性を高め、労働時間を削減し、経済成長を目指しましょうと言うものです。
これらを一言でまとめると「時間ではなく成果」ということになるわけですが、この方向性に関しては私は正しいと考えます。なぜなら、成果を生み出さずに単に長く働くことには何の意味もないからです。
「時間ではなく成果」の理念にまでそれはおかしいと反対する人は、全く成果を生み出していないのに延々と無駄な仕事をして働き続けることまで肯定するのでしょうか?まさかそんな意味不明な主張をする人など存在しないと信じたいものです。
これまではどちらかと言うと「成果よりも時間」が評価されることの多い世の中だったのかもしれません。ろくな成果を生み出していないのにわざとダラダラ残業して長く働いている人が評価されてしまうようなことも実際にあることがその現れと言えるでしょう。
こういうムダを排除し、効率的な働き方を進めていくためには「時間ではなく成果」を評価するやり方にシフトしていかねばなりません。その流れの中で高プロのような仕組みが検討されることは、極めて自然な流れだと考えることができます。
ではなぜこれほどに高プロは批判され、残業代ゼロ法案などと言われてしまうのか?それには当然の理由があります。
制度を悪用するブラック企業の問題
高プロが批判される理由はシンプルです。それはブラック企業に悪用されてしまう懸念があるからでしょう。
せっかく「時間ではなく成果」を評価し、生産性を高めて残業も少なくしていきましょうと高尚な理念を掲げたところで、ブラック企業の経営者はそんなことは考えません。ブラック企業が喉から手が出るほどほしい獲物は「残業代カット」に尽きます。多分ここしか見ていません。
「時間ではなく成果」を評価し、生産性を高めて、労働時間を短縮し、経済成長を目指していくという理念とは裏腹に、せっかくの仕組みがブラック企業にかかると「残業代カット」のための道具に成り下がります。残業代を削るための制度ではないのに、ブラック企業は高尚な理念を持った制度だろうと何だろうと悪用することをすぐに考えてしまうのです。
だから高プロには反対せざるを得ないというのが、高プロに反対する多くの人の意見でしょう。ブラック企業に悪用される問題は決して無視できるものではありません。思いもよらない悪用の仕方をしてくるのがブラック企業というものです。
ではブラック企業が悪用するからと言って、「時間ではなく成果」の方向性まで否定してしまっても良いのかと言うとそれは違いますね。今まで通り時間に評価軸を置いて長くはたらく人が評価されてしまうような仕組みのもとでは、いつまでたっても生産性など上がるはずがないからです。
成果を評価する仕組みと悪用するブラック企業の問題は別
「時間ではなく成果」を評価する仕組みと、それを悪用しようとするブラック企業の問題は別です。これを分けて考えないから高プロに賛成の人と反対の人とで主張が平行線となり、論点がずれてしまっていると感じます。
高プロに賛成の人はダラダラ働いて成果を出せない人の問題を心配をしている。
高プロに反対の人は制度を悪用するブラック企業の問題を心配をしている。
どちらも正しい。どちらも正しいのに論点がずれてしまっているために議論が噛み合ってないというのが私の感想ですね。
ただ難しいところは、成果を評価する仕組みとそれを悪用するブラック企業の問題は別なのでそれぞれ考えなければいけないことは間違いないとしても、それは関連している問題であって完全に切り離して議論するわけにもいかないところですね。
成果を評価する仕組みはこれはこれで議論していかなければならない。しかし一方で制度を悪用するブラック企業の問題も同時に考えていかなければ、良い制度を作ったところでブラック企業に悪用されて被害者が続出してしまう。
みなし残業代や裁量労働制など、制度自体が必ずしも悪いわけではないのにそれを悪用しようとするブラック企業が後を絶たないことを考えると、おそらくブラック企業が制度を悪用する問題に対する対策が十分ではないのだと思われます。
ブラック企業対策をもっと強化してからでないと、高プロのような制度は心配だと思う人がたくさん出てきてしまうことはやむを得ないのかもしれません。そこの対策を疎かにできないことは事実でしょう。
ただそれとは別の問題として、ダラダラ残業社員の問題にも目を背けずに向き合っていかないといけないことも事実です。残業代を稼ぐことが目的でダラダラ残業しているような人達を何とかしていかないと、全体の生産性は向上していかないからです。
隠れた高プロに賛成・反対する人達
高プロに賛成する人と反対する人の例として、
高プロに賛成の人はダラダラ働いて成果を出せない人の問題を心配をしている。
高プロに反対の人は制度を悪用するブラック企業の問題を心配をしている。
と書きましたが、実は賛成・反対する人の属性にはそれぞれもう一つあると思います。
高プロに賛成の人にはブラック企業もいる。
高プロに反対の人にはダラダラ働くブラック社員もいる。
ブラック企業は高プロの制度を悪用して残業代を払いたくないからこの制度に当然賛成する。こうなるとまさに「残業代ゼロ法案」となってしまいますね。高プロに賛成する人の中には、残業代なんか払っていたら生産性を上げることなどできないと言っているような人がいることを考えると、その不安はますます強くなります。
一方で高プロに反対している人の中には、おそらく成果で評価されたら困る人も含まれていると思われます。これまでダラダラ働いて残業代を稼いでいたような人達は、「時間ではなく成果」の評価にシフトされたら死活問題となります。
おそらくこういう隠れた反対者に対する対策がもっとも考えなければならない対策です。そもそも高プロの背景にある理念を考えると、ダラダラ長く働く人が評価されるのはおかしいでしょ?ということになるわけですし、高プロに反対している人達は悪用するブラック企業を懸念しているわけですし。
まあ色々と問題が複雑に絡み合っているので解決は簡単ではありませんが、残業ゼロ企業からの提案としては「こんな考え方もあるよ」というものを以前ブログに書いていたので本日はそのエントリーを紹介して終わりたいと思います。