ZOZOの田端信太郎さんがツイッター上で発言した「過労死は自己責任」という主張が炎上していますね。
自殺だから一義的に自己責任なのは当たり前でしょうが。上司が屋上から物理的に突き落としたりしたのですか? そんなに追い込まれても、会社なんて辞めて生活保護受ければいいわけです。あなた達、弁護士は訴訟になったほうが儲かるけどね。 https://t.co/2VXPMALFp1
— 田端@クルマ売るならBUDDICA DIRECT取締役 (@tabbata) June 2, 2018
上司が屋上から突き落としたり、鎖でつないで仕事をさせているわけではないのだから、そんな会社を辞めなかった本人にも責任はあるだろうという主張です。
賛否両論があり炎上していますが、ブラック企業なんか逃げてしまえば良いという主張は誤りでも何でもなく、過労死を少しでも減らすためにも非常に重要なことです。ブラック企業からは逃げろという主張に関してまで否定されるべきものではないでしょう。
確かに田端さんの主張内容には過剰と感じられるものも中にはあります。自分の子供がいじめや過労死で自殺したら?という問に対して、しょうがないと思うだけ、そういう時のために子供3人作った、リスク分散だというような主張に対しては、個人的に全く賛同できません。
賛同できない部分は確かにありますが、そこに噛み付いていても何も良くなりませんし、「ブラック企業から逃げろ」という主張はもっと当たり前のこととなるように啓蒙されるべきことだと考えます。
「過労死は自己責任」は完全に誤りなのか?
過労死は自己責任という主張は完全に誤りなのかというと、そんなことはありません。こういう主張をすると「同じ言葉を被害者遺族に投げかけることができるのか」みたいなことを言う人がいますが、そんなことするわけがない。
過労死は自己責任だと被害者遺族に投げかけるべきではないことは言うまでもありません。そんなことは当たり前の話です。そうではなく、今後被害者を1人でも減らすために一般論として「過労死は自己責任」という主張については考えるべきことです。
田端さんも別に過労死の責任が企業にないというようなことを主張してはいないでしょう。ただ企業に100%の責任があると短絡的に考えるだけではなく、労働者の方にもできることがある以上は、自己責任として考える部分があれば「逃げる」という選択肢について考えることにもつながります。
自分の責任において「逃げる」という選択肢を持つことは重要です。100%全て企業の責任として終わらせてしまったら、労働者が自ら改善しうる余地がなくなってしまい、過労死を防止できるチャンスをみすみす奪ってしまうことにもなりかねません。
「過労死は自己責任」は自己防衛と考えるとわかりやすい
過労死は自己責任という主張については、自己防衛と考えるとわかりやすいです。
例えば海外等で治安の悪いことがわかっている危険地帯があったとします。そこに足を踏み入れて犯罪の被害者になった場合、犯罪者に責任があって犯罪者が悪いことは言うまでもないことです。
しかしここで「犯罪者に100%の責任がある」「だから自分では何も対策を取らない」で終わらせてしまって良いのかということが、過労死は自己責任という主張の言いたいことでしょう。
確かに犯罪者は悪いけど、そこが危険地帯だとわかっているのなら、そこに足を踏み入れない、危険地帯から逃げるという自己防衛は考えた方がいいのでは?ということが「過労死は自己責任」の主張です。
危ないとわかっているのなら、そんな場所からは逃げてしまえ=過労死する前にブラック企業からは逃げろ!ということです。何も間違ってはいません。
自分で取りうる防衛手段があるなら、自己防衛するのは自己責任の範疇でしょう。自己責任論はつまり、自分の身を守るためにはきちんと自己防衛しましょうということでしかなく、批判されるようなことではありません。
自己防衛しましょうという主張を一方的に批判して議論の芽を摘むことは、逃げることを知らない人に「逃げてもいいんだよ」というメッセージを伝えるチャンスを無駄になくしてしまうことにも等しい行為です。
普段ならできる正常な判断ができなくなることも人間にはある
過労死は自己責任という主張には間違いなく一理ありますが、一方で過労死は自己責任だと言って、逃げないやつが100%悪いと結論づけてしまうことは、これはこれで短絡的すぎます。
例えば、人は鬱になってしまうと普段ならできる正常な判断ができなくなってしまうことがあります。普段なら当たり前にできるようなことが全くできなくなってしまうことがあります。そして鬱は誰でもなる可能性がある病気です。
「嫌なら辞めればいい」この主張は正しいですが、いつも仕事をバリバリやってきて鬱になったことがない人には、普段なら当たり前にできることができなくなるという状況が理解できないことがあります。
かつて私もそうでした。本当は鬱という病気など存在しないと思ってましたし、鬱は甘ったれている人の戯言だと心の底では思っていました。でも違いました。
追い詰められて正常な判断ができなくなってしまっている人、普段ならできることができなくなってしまっている人に対して「嫌なら辞めればいい」というのは酷な話です。少しでも過労死の被害者を減らしていくためには、この点についてももっと議論されていくべきでしょう。
こうしたことを考えてみると、周りの人達のサポートを得られる体制や、物理的に労働時間の上限を一定のラインで設けることについては、議論の価値のあるテーマです。
労働組合にだって責任はある
過労死が発生した以上は、企業にも責任はありますし、労働者にも責任はあります。そして労働組合にもその責任はあります。
36協定があるのなら、それは、そもそも同意してる、労組にも責任があるでしょう。一方的に残業強制してることにっはなりませんよ、無駄に組合費を徴収してる労働組合がヘボすぎるのに、なぜに「リベラル」な皆さんは、労組のポンコツさを指摘せずに経営批判になるのでしょう?。 https://t.co/BDE1ZShVxk
— 田端@クルマ売るならBUDDICA DIRECT取締役 (@tabbata) June 2, 2018
田端さんが一番言いたかったことって実はここなのではないかと個人的には思っています。労働組合は労働者を守るために組織されているはずなのに、その労働組合がまともに機能していない。そしてその労働組合を批判する人が誰もいない。
日々過労死の問題と闘っている労働組合の皆様、そして労働弁護士の皆様。本当に頭が下がります。重たい問題と向き合いながら、辛い現実と対峙することも多いことと思います。
しかし本気で過労死を減らしていきたいと考えるのであれば、田端さんおっしゃるように労働組合がまともに機能していないことについてはもっと批判されるべき事実ではないでしょうか?
36協定に関与しているのは企業側だけではありません。労働組合および労働者代表も36協定で締結した内容に関しては責任があると考えることが当たり前です。ここがしっかりと機能していれば、法律で残業上限時間がどうなっていようとも、理不尽な条件で協定が締結されることなどないはずです。
労働組合が適当だから、過労死が発生してしまうような36協定が締結されてしまったり、まともに36協定が守られないようなことが起きてしまうのではないですか?
こういうことを言うと必ず「一義的には企業に責任がある」ということを言い出して、意義のある議論にストップをかける人がいますが、企業に責任があることは当たり前です。安全配慮義務は使用者の法律上の義務です。そんなことは当たり前ですが、だからと言って労働組合がまともに機能していないことについてもこれはこれでしっかり議論されるべきだと考えます。
今度、某労働組合から取材を受けることになっているのですが、その前にこんな労働組合批判なんかして怒られてしまわないか心配です。w
まとめ
過労死の原因や問題は一つではなく、複雑な要因があると考えられます。それなのに「過労死は100%自己責任」「過労死は100%企業の責任」などと議論しているだけでは、本当の問題が隠されてしまう可能性があります。
労働者の自己責任(自己責任という言葉に抵抗があるなら自己防衛)の問題もありますし、もちろん企業には大きな責任がありますし、労働組合にも責任はあり、改善すべき点はあるでしょう。
短絡的に誰かの責任だと決めつけてしまうのではなくて、様々な側面から過労死の問題を考えていくことが、1人でも過労死の被害者を少なくすることにつながるのではないでしょうか。
今回の田端さんの過労死自己責任論には賛否両論があって炎上していますが、このような議論が巻き起こって多くの人が過労死の問題を考えるきっかけとなったことは、大変意義のあることだと思います。