偽装請負についてこのブログでも徹底して批判をしてきていますし、偽装請負が問題であることは多くの人が体感的に感じていることだと思います。システム開発のプロジェクトでは偽装請負が行われていることが普通の状態となってしまっており、そのためにエンジニアが不当に搾取されて様々な弊害が出ています。
昨日も偽装請負が行われている現状に対して「良いものを作るためには必要だ」だとか「法律が現状に追いついていない」だとかピントのずれたことを言う人が現れました。こういう人達は一見正しそうに思える大義名分を掲げて「自分達のやっていることは正しい」と思い込んでいる分、単に偽装請負を活用してエンジニアの利益を搾取しようとする輩よりもたちが悪いかもしれません。
いや、こういう人達に悪意があるわけではなくて、ある意味信念を持って生きているわけですので、こういう方達には自分達の側からだけ見える一方的な現状だけではなく、正しい知識を持っていただくことで良い方向に方向転換していただくことができれば、システム開発の業界改善のために絶大なパワーとなってくれる可能性を秘めているのかもしれません。
「偽装請負は法令違反だから悪い」というだけではなくて、偽装請負の何が卑怯で何でダメなのかをまとめてみました。
「良い仕事をする」という大義名分
偽装請負というものは残念ながら今のシステム開発業界では各所で行われております。偽装請負やむなしと捉えている人の中には、良い仕事をするために偽装請負のような仕事の形態が必要だと考えている人もいるようです。
「一緒に働いた方が効率的じゃん」というのが彼らのオーソドックスな大義名分でしょう。同じ現場で一緒に仕事をすることによって、コミュニケーションを活発化させてより良い仕事をするためにも偽装請負のような形は必要だという主張です。
システム開発という仕事はものづくりを行う仕事であるわけですが「良いものを作る」ことを目指していくことに全く異論はありません。では「良いものを作る」という大義名分のためには何をしても良いのか。良いものを作るという目的のためであれば、法律を犯しても良いというのか。
そんなわけないだろボケ。
私も現行の法律で納得のいかないことなどいくらでもあります。例えば解雇規制。解雇規制を緩和した方が絶対に労働者にとってもプラスになるし社会全体の生産性が大きく向上するというのが私の考えです。しかし反対意見もたくさんあるでしょうし、私の意見が絶対に正しいとも限りません。解雇規制を緩和すると私が見据えている側面以外のところで弊害が出てくるということもあるかもしれません。
私が「解雇は自由にできた方が生産性が上がる」という大義名分のもと、好き勝手に解雇して良いのかというとそんなことして良いわけがありません。法律を自分の都合に合わせて勝手に解釈して法を犯すなど極論もいいところです。
ルールは守らなければならない、話はそこからだ
私は今の法律が万能だと言うつもりはありません。むしろ穴だらけ、欠陥だらけとも言えるでしょう。法律も所詮人間が作ったものですから、完璧であることは望めるべくもなく欠陥があって当然です。
人間はミスをする生き物で人間が作ったものには欠陥があるということについては、システム開発の仕事に携わっている人であれば誰でもわかることでしょう。バグのない完璧なシステムを作れる人間がこの世のどこにいますか?そんなことは不可能でしょう。法律だって同じですよ。穴だらけ欠陥だらけです。
だからと言って法律が現状に追いついていないから無視して良いなどという議論はあまりにも幼稚で短絡的で馬鹿げています。より良い方向に向かうようにこのように法律を改めていくべきだ、というような議論はあってしかるべきです。しかしルールが改正される前にそのルールを自己の勝手な判断で破って良いわけがありません。
法律を初めとしたルールというものは何も自分だけのために作られているものではなくて、世の中全体を見据えて定められているものであるわけです。もしかすると自分には理不尽だし都合が悪いし非効率に思えるようなルールであっても、他の人から見たら合理的で必要とされるルールであるかもしれません。
偽装請負をしている人達にとっては今の法律が理不尽で非効率だと思っているのかもしれません。より良いものを作るため、効率的に仕事をするためにはこのように法律を変えるべきだという考えもあるかもしれません。でもそのルールを勝手に破ってよいかというともちろんそんなことはありません。
「ルールがこのようにあるべきだ」という議論はあって良いが、まずはルールは守らなければなりません。話はそこからですよ。
偽装請負の現場で行われていることは何なのか
「ルールだから守れ」だけでは中身の濃い議論にはなりませんから、偽装請負の現場で行われていることはそもそも何なのかというところをまとめてみました。
偽装請負というのは、自社に所属していない労働者に対して指揮命令が行われている状態です。多重下請け構造、客先常駐が常態化しているシステム開発業界の各プロジェクトでは、他社の人間から指揮命令されるなんてことが日常茶飯事です。
本来であれば労働者に対して命令できるのは、その労働者が雇用されている会社からのみです。他の会社の人間は労働者に対して命令することは禁じられています。例外は派遣労働者です。正式な派遣契約によって派遣されてきた労働者に対しては命令を行うことが可能です。
他社の人間に対して命令できるのは派遣契約だけなのですが、IT業界の客先常駐の場合は派遣契約ではなく請負契約や準委任契約で契約締結されることが当たり前になっています。派遣契約だと「派遣法」によって様々な制約(例えば多重派遣禁止など)がありますので、偽装請負という形態が取られているのでしょう。
以上のように、労働者に対してどの会社が命令を行うことができるのか、ということに関してはその労働者が雇用されている企業からのみ(派遣契約は例外)なのですが、この「労働者に対して命令できる」ということに関して、軽く見ている人が多いように思います。
「労働者に命令できる」とはどういうことなのか
「命令できる」ということは、その相手に対して自分の意志に従わせるということです。見方を変えると命令する相手の自由意志を無視することとも考えることができます。
本来人間には人権というものがありまして、人はそれぞれ自分の意志に従って自由に行動することができますね。人に命令するということは、この「自由に行動することができる」という権利を侵害することと考えることもできるわけです。
つまり、会社が従業員に対して指揮命令できるという権力は大変大きなものなのです。この権力は大変大きなものであるからこそ、労働者の権利が不当に侵害されないように労働基準法というもので保護されており、雇用し命令できるということは労働者保護とセットでなければならないものだと私は考えています。
労働者に命令する権利は、その労働者を雇用し、雇用主としての義務を負うことで初めて得られるものなのです。先日のブログにも書きましたが、
労働者に対する保護がないまま会社が労働者に命令だけできる状態というのは奴隷制度そのものです。労働者に対して指揮命令を行いたいのであれば、その労働者を雇用し、雇用主としての義務を負い、労働者が労働基準法の保護のもとに置かれる状態であるべきです。
命令する権利だけ手に入れ労働者保護は行わないのが偽装請負の本質
ここで今日の記事の本題ですが、偽装請負を行う企業の何が卑怯なのかというと、他社の人間を自分達の統制下に置き、労働者に対して自分達が命令する権利だけは手に入れるくせに、労働基準法で定められている労働者保護の義務は一切無視するところです。
命令する権利はほしいけど、雇用主として労働者を雇用し労働者を保護する義務は負いたくない。雇用はしないし雇用主としての義務は果たさないけど、労働者に命令し、労働者を従えようとするのが偽装請負の本質です。だから卑怯なのです。こんなもの大げさでも何でもなくただの奴隷制度です。
「偽装請負≒奴隷制度」と考えて大きく外しているということはないでしょう。
「労働者に命令できる」ということはこれだけ重たいものだと私は認識しているので、顧客がアクシアの従業員の労務管理に介入してこようとしたり命令してこようとしたりした場合には私はその相手と徹底的に闘うようにしています。
本日理不尽な要求はちゃんと断りましょうというブログを書きましたがこうやります。仕様変更の要望を絶対に今日やれ!と言ってきた顧客がいて(しかも日曜日)これはもう顧客じゃないなと思って私が出したメールの抜粋です。理不尽な要求は飲んじゃ駄目です。#残業を求めてくる顧客はブラック企業 pic.twitter.com/No9YQWseUR
— 米村歩@日本一残業の少ないIT企業社長 (@yonemura2006) May 17, 2017
「でも一緒に働いた方が効率的じゃん」という議論は無意味
そうは言っても一緒に働いた方が効率的だよね。という議論は無意味です。「効率的」「良いものが作れる」という側面だけを大義名分として掲げてくる人がいるからやっかいですし、これも偽装請負が中々なくならない要因の一つではないかと思います。
一緒に働いた方が効率的?そんなの当たり前じゃないですか。一緒の現場にいた方がコミュニケーションが取りやすいし、指揮命令した方が効率的に仕事をすすめることができます。だからそれができる器として会社というものがあるわけですよ。
ただし一緒の現場で働いて指揮命令を行いたいのであれば、指揮命令を行う相手となる労働者を雇用して、雇用主としての義務を負わねばなりません。既に述べてきた通り、雇用主としての義務を負わずに指揮命令だけ行うというのであればそれは奴隷制度と同じですよ。なぜ雇用するリスクは負わずに人に命令する権利だけ手に入れようとするのですか。
一緒に働いた方が効率的だと思うのであればきちんと義務を負って直接雇用すればいいではないですか。システム開発を一番効率的に行う方法は、顧客企業が自社でエンジニアを雇用してシステム開発を行うことですよ。
ではなぜシステム開発の業界で行われている客先常駐の開発現場は日々長時間労働が常態化してしまい、非生産的な状態に陥ってしまっているのか。
答えは簡単です。偽装請負が奴隷制度だからですよ。
偽装請負の現場の人達は、他社の人間から命令され、労務管理の責任の所在も曖昧な状態となり、労働者としての権利が脅かされてしまっている状態です。まさに奴隷。色んな権利が侵害されてしまっている状態の奴隷に対して「モチベーションを上げて生産的に働け!」と言ったところでそんなことは所詮無理な話です。
全て自社の統制下でコントロールしたいのであれば雇用するリスクを負え
一緒に働いて指揮命令した方が効率的だということは同意です。議論の余地もありません。そのためには雇用する必要があることは既に述べた通りです。雇用もせずに命令する権利だけ手に入れるだけなんて寝ぼけたことを言うのはやめましょう。
ただし雇用するということは雇用主としての義務が発生しますし、継続して雇用を続けていけるのかなど、諸々の事情を考慮して雇用というものは考えなければなりません。ある仕事を進めることを目的として必ずしも雇用することが最適解であるとは限りません。企業はそういった様々な状況から判断して、自社でそのプロジェクトを進めるのか、他の会社に外注するのかを決定します。
当たり前のことですが、外注して他社に依頼する場合は雇用主としての義務はありませんが、命令する権利もありません。外注を使って外部の会社に依頼するわけですから、その時点で全てを自社の統制下においてコントロールすることは不可能になります。
全て自社でコントロールすることができなくなるわけですから、全て自社で行う方法よりも効率が下がることは当たり前だし、そういう外注することの代償は当然受け入れるべきです。
それなのに雇用はしたくないと言って雇用主としての責任は発注先の会社に押し付けておきながら、別の会社の人間を自社の統制下に置いて全てをコントロールしようとしているのが偽装請負の実態です。
自社で開発するのも良し。外注して他社に開発してもらうのも良し。状況によって何が最適解になるのかは変わるでしょう。ただし諸々の事情で雇用のリスクを負うことが適切とは判断できずに、外注して他社に依頼することを選択肢たのであれば、その時点で他社の人間を自社の統制下に置くことは諦めなさい。
「一緒に働いた方が効率的じゃん」ってそんなの当たり前でしょう。だったら雇用主としての責任も果たしなさい。雇用することによって生じる義務は負わないけど、他社の人間に対して命令はしたいなんていうふざけた会社は、これからは奴隷制度を推奨している会社として批判していきましょう。