誰かの間違いを見つけた時に、そのことを相手に伝えたい・伝えなければならない場面があったとします。会社であれば上司が部下の間違いを見つけた時に(逆のパターンもあるかもしれません)、SNSであれば間違った情報発信をしている人を見つけてしまった時などに、そのようなケースに遭遇します。
そして相手に間違いを伝えた時に、嫌がられてしまうことも珍しいことではないと思います。SNSで知らない人に間違いを指摘したらブロックされてしまったという経験のある人もいると思います。
指摘する人からしたら、自分は正しいことを言っているだけなのに何でなの?と思うかもしれません。「違いますよ」と相手の間違いを指摘するのって意外と難しいですよね。では具体的には間違いを指摘することの何が難しいのか?を考えてみました。
なぜ伝えるのか?
これは間違いを指摘するケースに限った話ではありませんが、コミュニケーションで相手に何かを伝える時には、何が目的なのかを考える必要があります。
コミュニケーションの目的は、多くの場合は「正しいことを伝える」ではないはずです。コミュニケーションの目的は「正しいことが伝わる」です。もっと言えば、正しいことが相手に伝わり、望ましい結果が得られることがコミュニケーションの目的であるはずです。
そう考えると「正しいことを伝える」が目的になってしまうと、それは単に「正しく言葉を発する」に過ぎず、相手には何も伝わらずに自己満足で終わる可能性もあります。ビジネスの現場でこのようなコミュニケーションをしていると時には致命的な結果にもなりかねませんよね。
人間誰しも間違いを指摘されるのは快適なことではありません。感情の生き物なのだから当たり前です。だから相手に間違いを指摘することは難しいのですが、単に正しいことを言うだけではなく、それが相手に伝わり、受け止めてもらい、良い方向に行動が変わるところまで思慮が及ぶのであれば、「伝え方」も大事な要素であることは疑う余地もありません。
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「遠慮」と「配慮」の違い
大義名分を掲げて「間違いを指摘しない方が無責任だ」「正しいことを言うのが何が悪い」と言って、わざわざ嫌味な言い方をしてしまうような人は、「遠慮」と「配慮」の違いを理解できていないのでしょう。
この種の人達が掲げる大義名分である「正しいことを言う」には一理あります。何か言ったら波風が立ちそうだからと、被害が拡大するのが目に見えているのに誤りを見て見ぬ振りをするのは問題があるでしょう。そういう意味で正しいことを言うのに「遠慮」する必要はありません。ビジネスの現場で遠慮して言うべきことも言わないのは弊害しかないでしょう。
正しいことを言うのに遠慮がいらないからと言って、そこに「配慮」が不要かというとそれは全くの別問題です。嫌味で性格の悪い言い方をする人には人としての配慮が足りません。人間は感情の生き物ですから、わざわざ心をえぐられるような言い方をされて素直に話を聞ける人など聖人君子でもない限り難しいでしょう。
かつては私自身も「回りくどい言い方するなんて面倒くさい。正しいことをストレートに言って何が悪いんだ」と思っていました。「遠慮」と「配慮」の区別がついていなかったのです。昔の私は「ブスにブスと言って何が悪い」とか本気で思っていました。仮に1万歩譲って言っていることが正しかったとしても、そこには配慮のかけらもありません。配慮が欠けているということは、人間性の問題であると認識する必要があります。
極端なエピソードを言いましたが、言っていることの正しさと配慮の有無は無関係です。言っていることが正しい・正しくないに関わらず、相手に対する配慮は考えるべきです。配慮のない人は人間性に問題があります。
言い方一つで結果が変わる
「内容」と「言い方」どちらが重要なのか。
内容が正しいことが重要で、言い方なんてどうでもいいと思う人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。それは配慮に欠けた人間性に問題がある考え方だと既に述べました。どんなに正しいことを言ったとしても、その結果が望むものにならなければ全くの無意味です。言いたいことを言い放っただけの自己満足で終わってしまいます。
コミュニケーションでは「内容」も「言い方」も重要ですが、何よりも重要なのはその「結果」ではないでしょうか。
上司が部下に間違いを指摘するのであれば、その結果として部下の行動が変化して仕事のやり方が改善されるという結果。SNS上で技術的な間違いを指摘するのであれば、その結果として発信者が記載内容を訂正して間違った情報が拡散されないようになるという結果(なぜか相手に謝罪させることが目的になっている低俗な人もいますが)。
どんなに正しいことを言ったとしても望ましい結果が得られなければ意味がありません。望ましい結果を得るためには、「言い方」も重要なことは言うまでもないでしょう。
これが例えばビジネスの営業現場であれば、顧客に選んでもらう(望ましい結果を得る)ために「言い方」にも全力で配慮すると思うのですが、なぜか「上司と部下」だったり「SNSの誰か」だったりすると、言い方に配慮できない人たちがたくさんいるから不思議ですよね。
内容が正しいだけではダメ
よく言われることですが、コミュニケーションとは言葉のキャッチボールです。相手に正しくボールが届いて、相手からもきちんとボールが返ってきて初めてコミュニケーションが成立します。
それなのにSNSではよく近距離から剛速球でボールを投げてくる人たちがいます。
それで相手がボールをうまく取れないと「俺はど真ん中に投げてるだろ?取れないお前が悪い」とか言います。そして相手が呆れてキャッチボールに応じてくれないと「え?ど真ん中に投げただけのに(正しいことを言っただけなのに)ブロックされてしまった!」とか言います。そりゃブロックされるだろという話です。見ていて滑稽です。
また相手が間違ったことをしていれば、ボールではなく石を投げてぶつけても問題ないと思っている人たちもいます。こういう人たちは「相手が間違ったことをしているのだから石を投げられても仕方がない」と言います。完全に考え方が歪んでいます。これはイジメと全く同じ構造で、イジメている側の人間は「虐められている方にも問題がある」というようなことをよく言います。
しかし、間違ったことをしている人にはひどいことをしても良い免罪符なんてものはありません。相手が間違いをしているかどうかは相手の問題です。それとは関係なく、ひどいことをしているその人が悪いのです。SNSにはこういう「イジメ思考」の人間もうじゃうじゃいますから、そういうヤバい人間には近づかないことです。
SNSで「間違いを指摘しただけなのにブロックされてしまった」と言っている人たちは、多くの場合は間違いを指摘したからブロックされてしまっているのではなく性格の悪い言い方をしているからブロックされています。何で自分がブロックされたのかわからないという人は、自分が近距離から剛速球を投げたり、ボールではなく石を投げたりしていないか、ご自分の言動を見直された方が良いかと思います。
正しいことを言っただけで気持ちよくなって満足している人って、端的に言っちゃうと仕事できない人ですよ。