IT業界と起業と残業ゼロ


個人的な話ではありますが、本日4月25日は私の誕生日でして、私にとって平成最後の誕生日となりました。だからというわけでもないのですが、誕生日だし何か書きたいなと思いまして。

取材などでもよく聞かれますし、なぜIT業界に進もうと考えたのか、なぜ起業したのか、なぜ残業ゼロを実現できたのか、この辺の話を中心にこれまでのことを振り返った内容を書いてみたいと思います。

とは言っても、徒然なるままに、思いついたままに書いてみるだけですので、軽く読み流していただければ幸いです。w

起業を考えたきっかけ

起業を考えたきっかけは、今から20年ほど前の二十歳の頃までさかのぼります。初めて起業を意識したのは二十歳の頃です。ほんの些細なきっかけでした。

きっかけとなったのは当時のバイト先の先輩が「300万あれば自分で会社を作れる」と飲み会の場で話していたことです。今は会社法が変わって有限会社は作れなくなりましたが、当時は有限会社のことを指していたと思われます。今は株式会社をもっと安い資本金で作ることもできます。

会社を作るなんてことは雲の上の話であって、想像もしなかった当時の自分にとって、たった300万貯めれば会社を作ることができるというのは衝撃的な話でした。

この時にはまだ具体的なことは何も考えていませんでしたが「30歳までには会社を作ろう」と決めました。アバウトすぎて計画も何もありません。

IT業界に進もうと思ったきっかけ

IT業界に進もうと思ったきっかけは、年功序列とか上司に気に入られるとかそういうことではなく、自分の実力で評価される業界に進みたいと考えたのがきっかけです。

当時マクドナルドというお店でアルバイトで働いていた自分は、自分より絶対仕事できない人が自分より高い評価をされる場面を何度も見てきて死ぬほど悔しい思いをしました。私は店長から嫌われていたので全く評価されませんでした。当時店長だった本人から数年たった後に 「お前は生意気だったからわざとやってた」と聞いています。

この経験が強く影響して、実力よりも上司に気に入られることの方が重要な業界に進むのは絶対にやめようと強く思うようになりました。

初めてのウェブサイト構築

当時所属していたサッカーのサークルのウェブサイトを作るという話になり、誰も作れる人がいなかったので、仕方なく私が作ることになりました。

そしてこれが中々面白く、この頃からウェブの世界にどっぷりと浸かっていくことになります。ウェブサイトといっても最初に作ったものはHTML、CSS、Javascriptだけで作られた簡単なものです。もっと色々なことができるようになりたいと思って調べていると、サーバーサイドのプログラムの知識も必要になることがわかりました。

この頃にはもうプログラミングが楽しくて仕方なくなり、エンジニアになろうと決めました。本当は英語の教師になろうと思って教職課程もほとんど履修完了していたのですが、途中でやめて教育実習も中止してプログラミングの勉強に没頭しました。

就職

就職活動では全てエンジニア募集の会社を受けました。就職氷河期とか言われてましたが、上場企業2社含む合計5社から内定をいただきました。簡単なものでも自分で構築したウェブサイトがあるというのは強力な武器になりました。

ちなみに内定もらった会社の中で選んだのは1番小さい会社です。理由は、30歳までに起業したいと考えていたので、大きな会社に行くよりもできるだけ小さな会社で働いた方が、色々な仕事を任せてもらえて早く成長できると考えたからです。入社するまでにOracleとJavaの資格も取りました。

新人研修時代

就職した会社の新人研修は、それはもう過酷なものでした。 最初に研修ルームに入った時に寝袋が置いてあったんですね。何でこんなところに寝袋があるのかな?と思いましたが、研修期間が進んでいくにつれてその意味を理解しました。 毎日課題が出されて、それが終わるまで帰れませんという感じです。実際帰れないことはよくありました。

毎日の過酷な研修でボロボロになっている時に、社長が差し入れを持ってきてくれたことが想い出があります。差し入れの内容はリゲインです。我々新人はこの差し入れは「24時間戦え」という 社長からの素敵なメッセージだと解釈したものです。

研修中は課題が終わらないと帰らせてくれないのに、当然のごとく残業代はなし。この研修を乗り越えて確かに力はついたかもしれませんが、3ヶ月の研修終了時点では、内定者の3分の1がいつの間にか姿をくらませてました。

偽装請負との出会い

地獄の研修を乗り越えての研修終了日。いきなり「明日から客先に行ってね」と言われました。そんなの聞いてないよ。場所を聞いてみると片道通勤2時間半コースです。

そして現場には20人くらいのチームがありました。ああ、この人達が会社の先輩達なんだなと、新人ながらに感慨深く思ったものですが、後でわかったことはこの中で同じ会社所属の人はたったの1人だけだったという悲しい事実です。でもみんな同じ会社の人であるかのように仕事してました。思えばこれが最初の偽装請負との出会いです。

しかし当時の私はまだこの辺りの「大人の事情」など知る由もなく、仕事が泊りがけの時に同じ現場の人から「ホテル代消えちゃうから泊まりたくないなぁ」と言われても、は?何言ってんの?ちゃんと経費精算されるじゃん?としか思いませんでした。「俺は本当はこの会社の人間じゃないから、ホテル代精算しようとしても間に入ってる他の会社にいつの間にか抜かれちゃうんだよ」とか言われても、正直当時の私としては理解に苦しんだものです。

退職

新卒で入った会社では死ぬほど働きました。配属最初の月から労働時間は300時間オーバー。これが平均的に毎月続く感じです。動悸もありましたし血尿もありましたが頑張って働きました。

何のためにこの会社で頑張って働いてるんだろう?と疑問に感じてる時に、もうこれ以上頑張れないということを社長に話したら「お前みたいなやつとは一緒に働きたくない」と言われたのが決め手になりました。2年弱のサラリーマン生活に終止符を打つことになりました。

フリーランス

最初の会社を辞めた後は別にフリーランスになりたかったわけではないです。普通にリクナビネクスト見て、正社員のエンジニア募集している会社に応募したんですよ。

そしたら面接で「フリーランスという働き方もありますよ」と言われました。当時何も知らなかった私はその場で「ああ、じゃあやってみます」と言ってしまいました。後で調べたらその会社正社員のエンジニア1人もいなかったみたいですね。もうその会社消滅しましたけど。

フリーランスといっても実質ただの労働者でした。IT業界でよくあるやつです。法律的に問題あると思うんですが、いまだにこの手法が是正されていないのは問題ですね。

起業

フリーランスでは結局1年くらい活動してました。本当は30歳くらいで起業しようと思っていましたが、フリーランスの時のプロジェクトで良い人と巡り会えたこと(現アクシア役員)から、一緒に会社を立ち上げることにしました。

会社名を検討してアクシアという会社名に決めて、axia.co.jpのドメインがほしいと思って調べてみると、このドメインの前所有者の富士フィルムアクシアさんがこのドメインを手放したばかりでした。ドメインの前所有者がいる場合の取得手続きは通常のやり方とは違うのですがここでは割愛しますが、axia.co.jpを取得するために会社の設立を急ぐ必要があり、2006年に26歳で会社設立することになりました。予定よりも4年前倒しになりました。

SES

会社設立して最初の1,2年はSESをやっていました。今はこれだけSESを批判している私ですが、当時の私はこれを違法だとは全く知らなかったのです。新卒で社会人になった時から当たり前のようにどこの会社でもSESが行われていたからです。

しかし当時の社員から「これは偽装請負では?」と指摘されました。調べてみると確かに我々の行っていたことは偽装請負という違法行為でした。目の前が真っ白になりました。せっかく会社を作ったのにこの先どうすれば良いのだろうかとどん底に突き落とされた気分でした。

だからといって違法行為だと認知してしまった以上はそれをそのまま放置するわけにはいきませんでした。悪いことだとわかってて会社を続けることに意味はないし、開き直ってそのまま継続するような恥ずかしいことをするわけにはいきませんでした。

最初はどうやって持ち帰りの受託開発の仕事を受注してくれば良いかわからなかったし、SESを辞めて全部受託開発に切り替えればもしかしたら会社が潰れるかもしれないという恐怖もありました。この恐怖は相当なものでしたが、SESからきれいに足を洗った後もなんとか切り抜けて今日まで受託開発を続けてこれています。

ブラック企業時代

なんとかSESから受託開発に業態を切り替えることに成功しました。しかし新卒で最初に入った会社が超絶長時間残業のブラック企業で自分自身それに苦しんできたはずなのに、自分達の会社も超絶長時間残業のブラック企業に落ちていきました。

毎日残業で終電まで働き、毎週休日出勤。一体何のために仕事をしているのかと振り返る余裕すらないくらいに毎日必死に働いていました。私は経営者なので良かったかもしれませんが、働いていた従業員は辛かったと思います。今でも申し訳ないことをしてきたと思っています。

今だからわかることですが、まともな経営能力もマネジメント能力もない状態で、勢いだけで起業したような会社でしたから、ひどい状況に陥ってしまうのも当然の結果でした。なんとか良くしていこうと必死になってはいましたが、当時の私は経営者としては無能すぎてそれが中々できずに苦しんでいました。

そして残業ゼロへ

何度業務効率化にチャレンジしても中々残業を減らせずに苦しんできましたが、2012年10月にようやく残業ゼロを実現しました。

きっかけは当時辞められたら困ってしまう社員からの退職の申し出です。この社員にその時辞められたら業務が回らなくなって会社が潰れてしまうかもしれないという状況でした。

そこで仕方なく決断したことが残業ゼロ。

将来を見据えて英断を下したとか、そういう格好いい話ではありません。追い詰められて仕方なく行ったことが、結果的に全て良い方向に流れを変えてくれました。

その後は有給消化率100%も実現しましたし、今はまだ8時間勤務ですが今期は全社7時間勤務となるように改善していこうと思っています。(札幌は既に7時間勤務対応済み)

振り返ってみるとバタバタとした仕事のやり方をしてきたと思いますが、私も今日で40歳になりましたので、これから先はもう少しまともに腰を据えて会社経営できるようにしていきたいという決意表明を書き綴らせていただき、本日のブログを締めくくらせていただきたいと思います。長文お読みいただきありがとうございました。