問題提起した人に「解決策を示せ」ということの弊害


何かに対して「これはおかしい」「改善しなければ」と感じた時に、その問題意識を周りに共有することを問題提起と言いますが、問題提起をした時によくある話として、「だったら具体的な解決策を示せ」と言う人がいます。

昨日こんなブログ記事を書きました。

日本のIT業界のためにSESは消滅するべきだと思う

これに対して、だったら具体的な解決策を出せよとか、中には具体的な解決策がないならこういう発言をするべきではないとまで言ってくる人もいました。

こういう人達って具体的な解決策も含んだ有益な情報でないとネット上で情報発信してはいけないとでも言うのですかね。ちなみにこういうこと言う人達のツイート見に言ってみると、偉そうなこと言っておきながら自分はくだらない役に立たないゴミみたいなツイートしかしてなかったりして結構笑えます。w

少し話がそれましたが、問題提起した人に「解決策を示せ」ということってかなり弊害が大きいのではないかと思います。中にはこういうことをどこかの会社の社長が言っていたりもして、そういう会社で働く社員はかわいそうだなと思う次第です。

解決策を示せと言うとどうなるか

問題提起した人に対して、解決策を示せと言ってばかりだとどうなるのか。これは会社組織で考えてみるとそのことによる弊害が非常にわかりやすいと思います。

会社の中である従業員が会社や業務上の問題点を見つけたとします。このままだと良くないことは明らかなので、その問題について上司に問題提起したとします。その時に上司が問題提起してくれた部下に対して「だったら具体的な解決策を示せ」と言ったらどうなってしまうのか。

簡単に解決策が示せる問題であれば一緒に解決策も示せば良いだけですが、大きな問題や複雑な問題であるほど簡単に解決できる問題ではないことが多いですよね。それなのに「解決策を示せ」と言われたら、その部下は困ってしまいますよね。

せっかく問題提起しても、解決策を示せの一言でいつも片付けられてしまう部下はその後どうするか。問題提起しても受け止めてくれないし、下手すれば怒られるとなれば、問題を認識しても「何も言わないことが正解」になってしまいますよね。

このように問題提起してくれた人に対して解決策を示せと言ってしまうようだと、意見を言いにくい雰囲気となってしまい、その組織は風通しの悪い組織になってしまいますね。

問題提起されたことに対して上司がすぐに解決策を示せない内容だったとしても、一緒に考えていくとか、今後の課題として考えていくと回答するとか、他にやりようはいくらでもあると思います。意見を言いにくい雰囲気を作ってしまうことは最悪です。

問題提起した人が解決策を示せなくても何の問題もありません。問題提起を受けて他の人が良い解決策を提案してくれるかもしれません。問題提起する行為そのものに価値があります。

私自身も会社の中で、従業員が意見を言いにくい雰囲気とならないように、気軽に意見できる空気となるように気をつけるようにしています。

仮に解決策を示すとどうなるか

問題提起した人に対して「だったら具体的な解決策を示せ」とか言ってしまう人に対して、仮に解決策を示してみるとどうなるのか。そういう人に解決策を提示したら次にくる反応は「じゃあお前がやれよ」です。

これもダメな上司によくあるパターンですよね。せっかく問題点を見つけて具体的な解決策まで示してくれた人に対して「じゃあ君がやっといて(残業で)」となると、その組織がどうなっていくのかもうわかりますよね。

「言ったもん負け」みたいな感じになってしまうので、ますます誰も声をあげなくなってしまいます。システム開発のプロジェクトとかだと、偶然システムのバグを発見してしまったエンジニアが、それを上司に報告すると「お前がやっといて(残業で)」となるのが嫌で、せっかく見つけたバグを見て見ぬふりをしてしまうという可能性があります。そして後になって問題が大きくなりプロジェクト炎上。

別に問題提起した人が解決策を示さなくてもいいし、解決策を示した人が実際の対応をやらなくても良いわけです。でも問題提起しやすい雰囲気、解決策を提示した人が損な役回りにならない組織は大事だと思います。

単なる悪口か、問題提起か

何かの意見を主張している場合に、それが何かを良くしていこうという問題提起ではなく、悪口を言うことが目的になってしまっている人もいるという問題はあると思います。私も単に悪口を言う目的であれば反対です。

私の発言の一部分だけを切り取って、こいつは悪口を言っているという人もいることは仕方のないことかもしれませんが、別に私は悪口を言うことを目的としているつもりは全くありません。(悪口も言いますけど)

それを悪口と言うか、批判と言うかによっても、かなり印象は変わってくると思いますが、大事なことは目的をどこに置いているかですよね。単に悪口を言うことが目的なのか。何かを良くしたいという目的なのか。

問題提起することには意義がある

具体的な解決策を示せなくとも、問題提起することには意義があります。問題提起したことによって、その問題を認識して行動を変える人もいるからです。私のブログやツイートを見て、スキルアップのための勉強するようになったり、転職された方も結構います。

この度、3末でSES企業を退職して、4月より自社開発のIT企業に転職することをご報告いたします。 多々ツイートやアドバイスをいただき、自分自身の励みになりました。 ありがとうございますm(_ _)m

TwitterのDMや、質問箱でこうしたメッセージを結構たくさんいただくようになりました。私はSESの問題を一網打尽にするための具体的な方法は提示できていないかもしれませんが、私が情報発信したことによって行動を変えられた方もいらっしゃるのです。

情報発信し続けて問題提起してこなければ何も変わらなかったわけですが、私の問題提起に対してそれぞれが解決策を考え、その中で「転職」という自身の解決策を見つけて実行された方もいるわけです。

問題提起が解決策とセットである必要は全くありません。問題提起をすること自体に意義があります。

ちなみに以前Twitterでこんなアンケートをしたことがありました。

SESという言葉について、最近まで知らなかった人を含めると半分以上のエンジニアがその意味や中身を知らなかったことがわかります。だから私はSESの問題について、エンジニアが問題を問題だと認識することは大きな進歩だと考えます。問題だと認識すれば行動を変える人もいますからね。

これでもまだ「問題提起するなら解決策もセットで示せ」と言いますか?

おまけ

問題提起した人に「解決策を示せ」ということは問題だよね?という意見に対して、「じゃあ批判ばかりしている野党の国会議員はあれで良いのか?」みたいな意見もありました。

国会議員も問題提起することは当然良いし、批判だってしても良いのだけど、国会議員の場合は法案を考えて具体的な解決策を示していくことは彼らの仕事ですからね。国会議員が批判だけして具体的な解決策を示さないのであれば、それは仕事してないのと同じです。

法案という具体的な解決策を考えることを仕事としている場合を同じ土俵で論じるのはちょっと違いますね。