今や多くの人が認識している通り、これからはどんどん労働人口が減少していく時代です。労働人口が少なくなっていくという状況の中で、フルタイム残業バリバリではなくとも人々が働けるように多様な働き方を実現できるように追求し、働き方改革を推進していくことは非常に重要なことです。
こんな記事がありました。
この記事の中で労働組合の書記長という人が言っていることには首を傾げざるを得ません。簡単に要約するとこんな感じです。
- 業務量を減らさないのに残業を減らすのは無理
- 働き方改革は労働者の選別
- 働き方改革はマスコミが騒いでいるだけ
こういう勘違いして意味のわからないことを言う人がいると、本気で働き方改革を進めようと思っている企業や労働者にとっては迷惑だと思いますよ。こういう方達というのは盲目的に労働者に過保護になっているだけであって、本気で状況を良くしようなんて考えていないのではないですか。
例えるなら自分の子供が可愛いばかりに過保護になっている親みたいなものです。子供が間違ったことをしていても全部許してしまう。それどころか全く責任のない他人を責めたりしてしまう。モンスターですね。
本気で労働者のことを考えるのであれば、時には労働者にとって厳しい現実も指摘するべきですがこの方達はそういうことはしない。そこまでしないならしないで別に構いませんが、本気で働き方改革に取り組み始めている企業も多数ある中で無意味に水を指すようなことを言うのはやめていただきたいものです。
業務量を減らさずに残業を減らすことは理不尽?
このブログでも何度か書いていますが、業務量を減らさずに残業を減らすことは無理と言っている人達は、現場のことを何一つわかっていない評論家です。ケースによりますが業務量を減らさずに残業を減らすことは可能です。これが事実です。
エビデンスは弊社です。アクシアは業務量を一切減らさずに残業ゼロを2012年に実現しました。業務量を減らさないどころか、業務量は27%増えましたが残業ゼロを実現しました。仕事を減らさないと残業削減できないというのはウソですよ。
無駄な業務を減らすこと、業務効率化を進めることは非常に重要なことではありますが、私からすれば今の業務量を減らさないと絶対に残業削減できないという主張の方が非論理的です。少し考えてみれば業務量を減らさなくても残業削減できるケースはいくらでもあることは普通の思考能力のある人なら理解できるはずです。
もちろん残業を減らすために業務量を減らさなければならないケースもありますが、よく考えもせずに業務の現場のことを何も理解もせずに、盲目的に「業務を減らさない企業が悪い」という主張はやめてほしいものです。
今が残業まみれであるほど業務量を減らさずに残業削減することは可能
残業まみれの状態にあると、その残業の発生原因は「業務量が多すぎる」と多くの人が考えるかもしれません。もちろん業務量が多すぎる部分もあるかもしれませんが、今が残業まみれの状態なのであれば、その状態で100%のパフォーマンスを発揮できていると考える方が極めて不自然です。残業まみれの長時間労働の中で常に100%のパフォーマンスを発揮できている人がいたら超人ですよ。そんなことは一部の天才を除いてありえません。
残業まみれの状態にある場合には、そこには既に相当な無駄が存在していると考える方が論理的です。残業まみれの状態なのに無駄が一切ないと考える方が論理破綻と言わざるを得ません。無駄が存在しているのであればその無駄を取り除いていくことで、業務量を減らさなくても残業は削減できるはずです。
そもそも残業が発生する理由にはいくつものパターンがあると思います。
- 物理的に不可能な業務量が割り振られている
- 非効率な業務の進め方をしている
- 業務効率化して空いた時間に別の業務を入れてしまう
1と2と3の場合でそれぞれ対処方法は違うはずですよね。それなのになぜかみんな1だけが残業発生の原因だと考えてしまいます。物理的に不可能な業務量が割り振られている場合には、業務量を減らしたり、対応人員を増やしたり、業務プロセスを見直して効率化するなどの対応が必要になります。これを努力と根性で何とかしろと言われれば確かにブラックですが、実際には2と3が原因になっていることだってあります。
日々残業まみれで毎日終電、毎週休日出勤みたいな状態ですと、睡眠不足と疲労困憊の状態で常に仕事をしていることになりますから、2の「非効率な業務の進め方をしている」が当てはまります。睡眠不足と疲労困憊を取り除いてあげることで、劇的にパフォーマンスが向上して生産性を上げることができます。
アクシアが残業まみれだった頃は毎日24時頃まで仕事をしていて、1日平均13時間くらい労働していましたが、これを1日8時間労働に変えて残業をゼロにしましたから、それまでと同じ業務量をこなすためには生産性を1.625倍にする必要がありました。
13時間 ÷ 8時間 = 1.625倍
さらにアクシアの場合は残業削減前と比較すると生産性が27%向上しましたから、残業削減も加味すると生産性は2倍以上になった計算となります。
1.625 × 1.27 = 2.06375
パフォーマンスを2倍にするなんて不可能だと思われるかもしれませんが、残業まみれの時は1日の睡眠時間が4~5時間くらいで毎日これが続いてましたし、毎日24時まで仕事していて1日中パフォーマンスを発揮することなど不可能です。人間は朝起きた時から13時間程度で酒酔い状態と同程度の集中力になってしまうそうです。
毎日がこんな状態でしたから、睡眠不足の人が酒酔い状態で仕事していたようなものですね。これで集中力が持続するわけもなく、パフォーマンスも最悪だったはずです。その状態から一転して毎日十分な睡眠時間をとり、1日8時間だけ集中して仕事するスタイルに変わったわけです。睡眠不足+酔っぱらいの状態の人が長時間労働するパフォーマンスと、元気で健康的な状態の人が短時間で集中して働くパフォーマンスとを比較した時に、2倍の生産性というのは決して不可能ではないと思います。事実アクシアでは実現できました。
このように必ずしも業務量を減らさないと残業削減できないなどということはなく、そんなものは思い込みの勘違いです。現在発生している残業の原因によっては業務量を減らさずに残業削減することは十分可能です。
もちろん論理的に考えて不可能な業務量であってはなりません。しかし業務量を減らさずに残業を減らそうとしていることに対して一律に批判するべきではありません。
業務量が減るということは売上も減るということ
残業を減らすために業務量を減らすという選択肢はもちろんあると思います。しかしながら、業務量を減らすということは売上も落ちるということになります。企業は従業員に支払う給料を通常は売上の中から支払います。ということは業務量を減らし売上が落ちるということは、従業員の給料も落ちる可能性があるということです。
業務量を減らせと言うのは簡単ですが、業務量減少=売上減少=給料減少という視点がないのではないですか?売上が落ちるということは従業員にとっても他人事ではないはずです。
企業は売上と利益を追求していく組織ですが、売上と利益を伸ばさなければ従業員の待遇改善もできません。従業員の待遇改善のためには企業の業績アップもセットで考える必要があるのに、その点が全く無視された上で「業務を減らせ、待遇は改善しろ」と言ってもそんなことは無理ですよ。
そういう意味で売上と利益を追求する企業経営の視点がまるでない議論は私は無意味だと思います。企業の業績のことなんか知らんけど従業員の待遇は改善しろとか叫んでいる人達は、従業員から搾取しているブラック企業経営者と同じレベルです。一方的な主張ばかりで理不尽な内容ばかり。
本気で労働者のことを考えるのであれば、企業の成長もセットで考えることが当然でしょう。企業の業績アップなくして従業員の待遇改善などあり得ないわけですから、一方的に労働者保護ばかり唱えるだけだと結局は状況は何も良くならず、労働者にとっても何も良いことはありません。
ブラック企業をたたいて改善することはもちろん必要なことなのですが、「企業vs労働者」みたいな対立構造作ろうとする輩は会社にとっても労働者にとっても本当に迷惑だから消えてほしい。。
盲目的に労働者に過保護になるだけでは労働者を守れない
これから労働人口はどんどん減少していくわけですが、そんな中でも企業としての業績を良くしていき労働者にとっても利益となるようにするためには、働き方改革は絶対に必要なことです。
それなのにこれからの時代背景も考えずになぜ多様な働き方が必要になるのかすら理解せずに「働き方改革はウソ」等と寝ぼけたことを言うのは本当にやめてほしいです。
これから来るべき時代のことを考えて本気で働き方改革に取り組もうとしている企業はたくさんあります。
それなのに働き方改革は「マスコミが騒いでいるだけ」等と暴言を吐いて水を指すようなことを言わないでいただきたい。邪魔するくらいなら何も言わずに黙っていていただきたい。
本来労働組合とか労働弁護士の人達の仕事は違法行為や違法行為でなくてもあまりにもモラルに反する行為をしている企業と闘うことで労働者を守ることなのではないですか。それなのに一部では「企業vs労働者」みたいな構図を作ろうとしている人達がいることは理不尽ですね。
こういう人達は一方的に企業を批判するだけで自分達が企業から責められるようなことはないのでしょう。だから一部で暴走して結局は労働者のためにもならないようなことを言い出す人達まで湧いてくるのだと思います。それってこの人達の仕事を作ってるだけじゃん。。
こういう人達が真に労働者の利益となるように、短絡的ではない主張をされることを心から望みます。